路地裏人生論
著者 − 平川克美 出版 − 2015年
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タイトルに惹かれて思わず手にとった不思議なエッセイ、『路地裏人生論』。
作者の平川克美さんは、1950年の生まれ。昭和の戦後復興とともに成長し、また、この国が”末枯れる(うらがれる)”とともに齢を重ねてきました。
平川さんは、経済成長至上主義とグローバリズムといったこれまでの「拡大志向」に異を唱えます。
日本は、老齢期に入った。
今から約50年前、1964年の東京五輪を契機に高度経済成長に突き進み、この国は新幹線のようにひた走ってきた。
しかし、生まれたものは、やがて老いる。バブルの崩壊、人口減少、少子高齢化社会が始まる。これは自然の成り行きであり、文明化の必然である、と平川さんは言います。
この『路地裏人生論』では、フォトグラファーの高原秀さんの写真とともに、著者が、あくまで手の届く範囲の、東京の路地裏を、友人たちと散策しながら、ゆったりと、でも、確かな歩調で描写していきます。
路地裏とは、ときに現実世界の裏側であり、記憶のすき間を覗くことでもあります。
読んでいるうちに、平川さんの生きてきた東京と、姿を変えていく東京とが交錯していきます。
喫茶店や銭湯、のんびりと流れる隅田川、遠くに見える富士山、町工場の鉄の匂いがつんと鼻奥に響く。彼の記憶に残された風景と、目の前に取り残された昭和の景色が混ざり合っていきます。
ある日、平川さんは、母を看取ったあと、箪笥のなかの遺品を整理していました。
そのとき、ビニールの包装紙にくるまれ、タグのついたままの、たくさんの未開封の下着を見つけたそうです。
平川さんは、近くの商店街を歩きながら、生前の母の姿を想像します。
老いた足を引きづりながら、カートを杖代わりに、使い道のない下着を買うために、この道を歩いていったのだろうか。
平川さんの母は、この町に嫁いできたあと、食材、文房具、台所用品などの買い物のため商店街に通っていました。
徐々に商店街が廃れていっても、きっと、この日常の習慣だけは変えることができなかった。
商店街の先の店で、顔見知りの店員と、ほんの少し立ち話をして、目についた下着を買い、家に帰っていく。
そんな日々が続き、箪笥の奥に未使用の下着がたまっていったのではないか、と平川さんは思うのでした。
ほんとうのところはよくわからない。
しかし、時代の流れが、母の日常を追い越して行ってしまったことだけは、確かなことのように思える。
平川克美『路地裏人生論』より
優しい文体で書かれた、著者の人生の追憶が、ちょうど戦後から今までの日本の歩みと重なって見えたのでした。