星の見える東京
日記

蝶々をよく見るのは不吉、という話

蝶々は不吉

この夏は、ほんとうに蝶々をよく見る。

もはや「よく見る」というより「寄ってくる」と言ったほうが近い。旧知の仲のように現れて、周辺をふわふわと浮遊して去ってゆく。

日本では古いことばで、蝶々のことを「かわひらこ」と呼んだ。

河原をひらひらと舞う姿から、そう名付けられたと言う。「かわひらこ」なのだから、多摩川沿いを歩いているときに蝶と遭遇するのは自然なこと。

でも、僕がこの「かわひらこ」と出くわすのは河原だけではない。

高架下や住宅街、先日などは駅のホームでふと空を見たら、ひさしのような天井部にもアゲハ蝶がとまっていた。

何かの暗示のようだと思い、調べてみると、「蝶をよく見る」というのは、やはり不吉なことのようだ。

蝶は、昔から東西問わず世界中で死者の魂であったり、輪廻転生のような死と再生の象徴として捉えられ、様々な神話や言い伝えにも登場する。

僕は、蝶々が好きだ。徐々に好きになってきた。

体調を崩し、身近に死のことを感じるようになったことも影響しているのかもしれない。あのふわりふわりと浮遊するリズムが、心身とふしぎと波長が合う。

終わってゆくものの匂いを、蝶は嗅ぎ分けるのかもしれない。そして、そっと近寄ってくる。

それが不吉かどうかというのは、正直はっきりとは言えない。

死というのは、常に再生と表裏の関係にある。だから、蝶についても必ずしもマイナスの意味合いだけでなく、新しい変化を示す予兆であるとも言われる。

吉兆であるといい。

0