成人式と多摩川の夕陽
成人の日。狛江駅前には、例年通り、成人式のために振り袖姿やスーツ姿の若者が集まっていた。
時間帯のせいなのか、それとも少子化の影響なのか、去年よりも人数が少ないような気がする。
若者たちの姿を見たら、ふと、数年前の成人の日のことを思い出した。
駅前で男女数人のグループから写真を撮ってほしいと頼まれ、了承するとカメラを渡された。
僕がシャッターを押し、カメラを返すと、去り際に青年のうちの一人が、「ありがとうございます」と丁寧にお辞儀をし、その姿を見た僕は、「立派なもんだ」とおじさんみたいなことを思った。
そのときの感覚が、ふいによぎった、という話。
多摩川の夕陽は、きょうも綺麗だった。
繰り返し眺めても、決して「見慣れる」ということがないのは、自然の風景も、僕自身も、きっと一度として同じ瞬間がないからなのだろう。
画家のモネが、同じ風景を何度も描きたくなった気持ちも分かる気がした。
もしかしたら、ひととの付き合いもほんとうは「慣れる」ことなどないのかもしれない。
いつも通りに笑うあのひとも、笑い返す自分も、部屋に射し込む光も、音も、刻々と過ぎ去ってゆく時間も、いつだって「はじめまして」で、いつだって二度と会えないのだから。