」カテゴリーアーカイブ

新海誠『君の名は。』と岩井俊二

 

 

映画『君の名は。』でも知られる新海誠監督を特集した雑誌のなかで、新海監督が影響を受けた人物として、大江千里さんやRADWIMPS、村上春樹さんなどとともに、映画監督の岩井俊二さんの名前を挙げ、二人の対談も掲載されていた。

対談では、冒頭、新海さんが岩井監督の初のアニメーション作品『花とアリス殺人事件』が『君の名は。』のコンテを描いている最中に公開され、その影響がずいぶんとある、ということを語っていた。それから、『君の名は。』に隠された、岩井作品に対するいくつかのオマージュも明かしている。

新海 : バスに乗って、瀧くんを真ん中にして奥寺先と司がこう……とか。あれは実写のほうの『花とアリス』のまんまのアングルをいただいて(笑)

岩井 : ああ、あの構図は何となく気づきましたけど ── オマージュなんですか?

新海 : そうです。(『EYESCREAM増刊 新海誠、その作品と人。』)

また、別の箇所に載っている、新海監督単独でのロングインタビューでも、ビルや電柱のような、「無機質なものに心情を託す」という手法について、岩井俊二監督から影響を受けたと語っていた。

そうした大きな無機物に心情を託す手法は僕が見出したものではないですよね。いろんな影響が絡み合ってるとは思います。

今回、岩井さんとの対談ができるということで『リリイ・シュシュ〜』を見返して、両毛線沿いの窓の風景とか、青空に工場の白い煙であったりとか鉄塔のシルエットとか、そうしたものにグッとくるものがあって、無機物に心情を託すみたいなところっていうのはこういうところから影響を受けてきたのかもしれないなと思いました。(『EYESCREAM増刊 新海誠、その作品と人。』より)

こういった背景もあるからなのか、『君の名は。』のエンディングロールでは、スペシャルサンクスに岩井監督の名前がある。

一般的に、自身のアイデンティティに閉じる傾向が見られるクリエイターという職種を考えると、新海監督は、自作のルーツや関係性を気さくと言ってもいいくらいに爽やかに公言しているように思えた。もしかしたら、その感覚も、”世界との見えないつながり”を描いた作家らしい、と言えるのかもしれないなと思う。

平川克美『路地裏人生論』

 

 

タイトルに惹かれて手にとったエッセイ集。作者の平川克美さんは、一九五〇年生まれ。昭和の戦後復興とともに成長し、また、この国が”末枯れる”とともに齢を重ねてきた。

平川さんは、経済成長至上主義とグローバリズムといった、これまでの「拡大志向」に異を唱える。日本は、老齢期に入った。今から約五十年前、一九六四年の東京五輪を契機に高度経済成長に突き進み、この国は新幹線のようにひた走ってきた。しかし、生まれたものは、やがて老いる。バブルの崩壊、人口減少、少子高齢化社会。これは自然の成り行きであり、文明化の必然である、と平川さんは言う。

この『路地裏人生論』では、フォトグラファーの高原秀さんの写真とともに、著者が、あくまで手の届く範囲の、東京の路地裏を、友人たちと散策しながら、ゆったりと、でも、確かな歩調で描写していく。

路地裏とは、ときに現実世界の裏側であり、記憶のすき間を覗くことでもある。読んでいるうちに、平川さんの生きてきた東京と、姿を変えていく東京とが交錯していく。喫茶店や銭湯、のんびりと流れる隅田川、遠くに見える富士山、つんと鼻奥に響く町工場の鉄の匂い。彼の記憶に残された風景と、目の前に取り残された昭和の景色が混ざり合っていく。

ある日、平川さんは、母を看取ったあと、箪笥のなかの遺品を整理していた。そのとき、ビニールの包装紙にくるまれ、タグのついたままの、たくさんの未開封の下着を見つけた。平川さんは、近くの商店街を歩きながら、生前の母の姿を想像した。老いた足を引きづりながら、カートを杖代わりに、使い道のない下着を買うために、この道を歩いていったのだろうか、と。

平川さんの母は、この町に嫁いできたあと、食材、文房具、台所用品などの買い物のため商店街に通っていた。徐々に商店街が廃れていっても、きっと、この日常の習慣だけは変えることができなかった。商店街の先の店で、顔見知りの店員と、ほんの少し立ち話をして、目についた下着を買い、家に帰っていく。そんな日々が続き、箪笥の奥に未使用の下着がたまっていったのではないか、と平川さんは思う。

ほんとうのところはよくわからない。

しかし、時代の流れが、母の日常を追い越して行ってしまったことだけは、確かなことのように思える。(平川克美『路地裏人生論』)

優しい文体で書かれた、著者の人生の追憶が、ちょうど戦後から今までの日本の歩みと重なって見えた。

竹内敏晴『思想する「からだ」』

 

 

あるとき、朗読をしようと試みた際、朗読は、「歌う」ことと比較すると決して難しいことではない、という先入観があった。朗読する、声に出して読む、というのは、歌と違って生まれつきの障害を抱えていない限り、「習得する」というよりも、気づいたときには当然の能力として持っているものだ。だから、技術や能力の必要性を感じることはあまりなく、ただ普通に自分の地声で読めばいいのだろう、と思っていた。

しかし、その「地声」ということが、実はそんなに単純なものではないのだと、演出家の竹内敏晴さんの『思想する「からだ」』を読んで改めて考えさせられた。

竹内敏晴さんは、生後すぐに難聴になり、十代の半ば頃から徐々に聴力が回復していった、という体験を持っている。そのため、「声」というものを、まるで僕たちがギターを覚えるように、後天的に習得していく必要があった。そうして「声」を身につけていく過程で竹内さんが分かったことがある。それは、言葉というのは、まず「声」だということ。そして、その「声」とは、「からだ」を使った「全身の運動」であり、「呼びかけ」である、ということだった。

一方で、そのように相手に届け、伝える「良い声」「本当の声」を出すことができる人が少ない、ということも竹内さんは痛感する。多くの人が「声」を持っていない理由として、一つは、「からだ」が常に固く、リラックスすることを知らないこと。もう一つは、「違う誰かになろうとしている」という点を、竹内さんは挙げている。

たとえば、女性店員の接客時の甲高い声は、媚びた、嫌われたくない、という思いが先行したような、言ってみれば「仮面」をかぶった声と言える。メイクをした「声」を出しているということは、(声は全身運動なので)そういう「からだ」の使い方を、常にしているということでもある。こういった「からだ」の使い方は、癖になる。そして、無意識のうちに、日々の生活でも、接客の「声」を使うようになる。それは、もはや自分の心からの「声」ではなく、借り物の声であり、そのため、本当の気持ちを伝えたいときにさえ、自分の「声」が出せなくなるのだ。

多かれ少なかれ、僕たちは大人になるにつれて、自分の「声」を見失い、誰かの「声」になろうとする。赤ん坊の泣き声のような、「この声が届かなければ、わたしは死んでしまう」という切迫した声が出せなくなる。朗読や日常生活で、重みのある「良い声」、説得力のある語り方をするためには、その「声」の出し方、「からだ」の使い方を思い出す必要があるのだ。

声は、重要である。それはカラオケの場だけではない。恋愛や就職活動の面接における「口下手」「話下手」の克服においても、声は他者との関係性を築くコミュニケーションの基本となる。歌であれば、精一杯に美しく着飾る「良い声」が求められることもあるかもしれない。しかし、日々のコミュニケーションの際の「良い声」は、むしろ「曝け出す」ことが大切になってくる。そのことについて、竹内さんは教えてくれる。

コミュニケーション力を向上させる方法や、どもりの悩みを克服する方法、口下手な自分を変える方法を知りたい人は、種々のハウツー本よりも、まず、この「声」と、「良い声」の出せる「からだ」の使い方について考えることが、結果的には近道になるかもしれない。軽い声で言葉数ばかり増えるよりも、説得力と安心感のある「良い声」で一言、「わかった」と頷く方が、ずっと「コミュニケーション力がある」とも言えるだろう。