くちばしがオレンジの鳥

花の名前よりも、鳥の名前は、調べるのがいっそう難しい。散歩中にふと鳥を見かけたり魅力的な鳴き声が聞こえてきても、その鳥の名前がわからない、ということはよくある。

調べようにも、鳴き声を言語化して検索するのも大変で(「ホーホーホッホー」と書いたり、「ピィピィピィ」と書いたりするしかない)、見た目の特徴を把握しようにも、バードウォッチングをしているわけでもないので木々に留まっている鳥をしっかり見られる機会も多くない。

ただ、こないだ一匹の小鳥が、多摩川沿いの土手を歩いていたので、よく観察しようと目を凝らし、写真にも収めた。その鳥は胴体が黒っぽく、顔の周りや腰の辺りに白が入り、くちばしと足がオレンジ色だった。

この小鳥自体はよく見るものの、名前を認識しないまま、「あの小鳥」とざっくり捉えていた。

近くで写真も撮れたし、せっかくだからと調べてみたら、このオレンジのくちばしと足の特徴を持った小鳥は、「ムクドリ」だった。

なるほど、これがムクドリだったか。ムクドリという名前自体はよく聞くし、ムクドリの大群も見たことがあったものの、一羽で見たときの名前と鳥の見た目が一致していなかった。

僕が以前住んでいた街でも、駅前でムクドリが大量発生し、空を巨大な影が覆うように飛びまわっていた。物凄い鳴き声が、なんだか怖いし不吉な雰囲気で、結構な騒音問題にもなっていた。

とは言え、それならムクドリがそもそも「害鳥」なのかと言うと、むしろ日本では昔は「益鳥」として非常にありがたい存在だったようだ。ムクドリの餌は虫で、農家の人たちにとって農作物につく虫を食べてくれるムクドリに感謝していたと言う(参考 : 騒音、糞害。ムクドリは悪い害鳥なの?ムクドリの本当の姿と人との関係」)

この辺りでも、あの街のように、それほど大量に飛んでいるということはなく、迷惑な存在、という感覚はない。普通の可愛い小鳥だと思う。

多摩川の土手沿いを歩いていると、ひょこひょことムクドリが餌を探しているし、公園でもときおりムクドリたちがどこかから降り立っては餌を探すように雑草のなかを歩いている。

ソラニンのロケ地

大学時代に出会った漫画に、浅野いにおさんの『ソラニン』がある。ソラニンは漫画だけでなく、宮崎あおいさん主演の映画もあり、どちらのよさもある。

映画版のほうでは、東京の狛江市にある、和泉多摩川駅周辺がロケ地として使われている。主人公の芽衣子と種田の暮らしたアパート、語り合った河川敷、ボート乗り場など、ひっそりとたたずむようにあるのどかな町が、ソラニンの世界の舞台になっている。

漫画に出てくる商店街や多摩川の描写も、和泉多摩川の景色と一緒なので、浅野いにおさん自身、この町をモデルにして描いたのだと思う。

多摩川沿いを歩くと、東京とは思えないような、とても穏やかな景色が広がっている。冬には遠くに綺麗な富士山が見え、春は桜の木々が弧を描くように伸び、風景が季節ごとの優しい色合いを見せてくれる。

東京は今日、
ちょっといい天気で、

いつものように
小田急線が走ってて、

多摩川では
恋人達が
ボートをこいでいた。

出典 : 浅野いにお『ソラニン』

ときおり、河川敷で映画やドラマの撮影をしている光景に遭遇する。ドラマや映画のロケ地になる理由もわかる気がする。もちろん都心から近いというのもあるだろうけど、なによりここは物語を注ぎ込める静かな余地があるんだと思う。

多摩川の貸しボート屋としゃぼん玉

登戸と狛江のあいだを流れる多摩川に架かっている多摩水道橋。ちょうどこの橋の真ん中辺りが、東京と神奈川の県境にもなっている。

もうだいぶ昔、橋が架かる以前は、もともと「登戸の渡し」と言われる渡し舟があったそうだ。しかし、昭和初頭の小田急線開通によって渡し舟の利用者は激減。さらに昭和中期には歩道と車道の橋も架かったことで登戸の渡しは廃止になる。

この渡しは、数ある多摩川の渡し舟のなかでも、割と遅くまで残っていた区間だったという。

以前、狛江市内の小さなギャラリーで開かれた多摩川に関する浮世絵展では、府中の渡し舟の様子が描かれた絵(葛飾北斎「富嶽三十六景 武州玉川」)も飾ってあった。

この渡し舟の廃止後、漫画『ソラニン』でも描かれていた貸しボート屋が営まれることになる。この貸しボート屋「たまりや」のおじさんは、かつて渡し舟を営んでいた家の方だと言う。

狛江がまだ農地ばかりだった昭和十七年、谷田部靖彦さんは多摩川の「渡し」を営む家に生まれました。以来、多摩川と共に人生を歩んできた谷田部さん、鉄道や橋が開通し、渡しが役割を終えた後は都心からやってくる水遊びの人々のために五隻の船から貸しボート屋を始めました。

出典 : WEST TOKYO 仕事図鑑 VOL.05 貸しボート屋

対岸の登戸側にも、「のんきや」という貸しボート屋があったが、街の開発工事のため店を閉じることになってしまったようだ(その後、「たまりや」も主人が亡くなり、今はもう貸しボート屋さんはなくなっている)。

橋は、老朽化もあり、新たな架橋がつくられ、現在の多摩水道橋になった。その橋を、和泉多摩川から撮った最近の光景。この辺りは、カメラを持って撮影している人もときおり見かける。

今では狛江と登戸のあいだも、電車はもちろん、歩いても割とすぐの距離にある。でも、橋がなかった頃は、「対岸」というものが、気分的になかなか遠いものだったんだろうなと想像した。

ちなみに、この多摩水道橋の和泉多摩川側には、座って休めるちょっとした休憩所がある。自転車で長い距離を走ってきた人や、散歩中のおじいさんおばあさんが休憩スポットとして活用している。

この休憩所の屋根に、最近ふと、小さなモニュメントのようなものを発見した。

麦わら帽子をかぶった幼い少年が、多摩川の空に向かってしゃぼん玉を飛ばしている。五年以上住んで、初めてその存在に気づいた。