荒川健一『すいじんのえのき』多摩川の写真集
荒川健一『すいじんのえのき』
狛江市の多摩川沿いに、一本の大きな榎が立っている。
橋の下流方面の広い河川敷に立っている木ではなく、調布方面に歩いていく際にある木で、僕も散歩でときどき通るが、この辺りから眺める多摩川上流にかけての夕陽は、もっとも好きな景色の一つだ。
榎の周りには木製のベンチが並び、おじいさんおばあさんや、ランニングしている若者らがよく休憩がてら座っている。
この樹木の四季の流れと、行き交う街の人々を一緒に写した写真集、『すいじんのえのき』がある。
狛江や多摩川の風景を写した写真集があったら見てみたいな、と探していたときに、この本と偶然出逢った。
著者の荒川健一さんは、フリーのカメラマンで、狛江に60年以上住んでいるようで、子供の頃から多摩川は遊び場だったそうだ。
しかし、荒川さんがこの榎の存在を意識して見るようになったのは、最近のことで、川の反対から見たとき、榎の背景に空が広がっていたのだと言う。
姿形だけでなく、これほど背景の広々とした榎は珍しいと思い、その頃から定点撮影を始めたそうだ。
東京・狛江市を流れる多摩川の畔に生える一本の榎。
都内ではめずらしく、
背景が空になる条件で生えている、姿の良い木だ。
土手の遊歩道は生活道路でもあるので、
日々さまざまな人が行き交う。
その情景と榎の四季の姿を、
定点から眺めた写真でつづる、一年間の物語。荒川健一『すいじんのえのき』より
この「すいじんのえのき」というのは、どうやら荒川さんが名付け親のようだ。
名前は、この榎のすぐ近くにある「水神さま」の祀られた祠に由来する。
水神とは、水にまつわる神さまの総称で、祠は、見晴らしのいい榎の立っている川のほとりから、公園のほうに降りてゆく途中にひっそりとある。
写真集をめくると、左側に情景を彩る言葉が記され、右側に春夏秋冬の榎と過ぎ行く人々の姿の映った美しい写真がある。
見慣れた景色を、他人の眼差しを通して見ると、世界は一つのようで幾重にも折り重なっているのだなあ、としみじみ思う。
多摩川に吹く風のような、優しい気持ちにさせてくれる一冊だ。