昔の小田急線の喜多見、狛江、和泉多摩川駅

狛江市にある小田急線の駅は、喜多見駅、狛江駅、和泉多摩川駅の三駅がある。喜多見駅は正確には世田谷区になるものの、隣の成城学園前と比較すると狛江のほうが近いこともあり、狛江市の人でも利用することは多い。

この三駅も含め、小田急線の懐かしい景色を載せた『懐かしの小田急線』という本があり、この写真集を見ると、色々と感慨深いものがあった。

喜多見駅

この写真は、昭和三十年(一九五五年)の喜多見駅を写した一枚。今から半世紀以上前で、さすがに全く面影がない。駅の横に桜の木が立ち、木の下には、自転車が二台停まっている。駅出入り口には小学生くらいの男の子が寄りかかっている。

右側に、「たばこ」と書かれた売店のようなものがある。静かな春の日常だなと思う。

狛江駅

この写真は、昭和三十八年(一九六三年)の狛江駅。駅前で人を待っている男性や女性がいる。新聞紙が揃った売店もあり、男性の雰囲気は、今とあまり変わりがないように見える。

和泉多摩川駅

この写真は、昭和三十年(一九五五年)の和泉多摩川駅と線路。夏の午後の日差しをよけるように、日傘を差した女性が踏切を渡っている。駅のホームが相当短い。この頃はまだ一両から二両くらいの列車だったのかもしれない。

どの駅も、当然ながら今と全く違うなと思う。

昔の多摩川

昭和三十七年(一九六二年)の多摩川の光景を捉えている。今は一つしかないが当時は多くの貸しボート屋があったようで、とても賑わっている。この写真は左側半分なのだが、右側には嘘のようにたくさんのボートが川に出ている。釣り人も大勢いる。

一方、この時代は、徐々に多摩川も汚染問題が深刻化してきた頃でもあった。昭和二十年代は多摩川の水は本当にきれいで、川底まで見えるくらいに透き通り、子供たちが毎日のように学校終わりに泳ぎに行くなど、絶好の遊び場だったと言う。しかし、昭和三十年代に入ると徐々に汚染が始まり、狛江の町内でも子供たちの遊泳が禁止になる。その結果、学校にプールができ、子供たちはプールで泳ぐようになったそうだ。

もう一枚の写真は、昭和四十五年(一九七〇年)の多摩川の夏の日の出と一番列車だ。和泉多摩川と登戸を繋ぐ鉄橋を渡ってくる可愛い小田急線。

この『懐かしの小田急線』は、新宿から始まり、代々木上原や下北沢、経堂、成城学園前、狛江、さらに神奈川に入って新百合ヶ丘、本厚木、相模大野、藤沢まで、小田急線沿いの駅や、線路沿いの家々の風景が写されている。

失われてしまったものと、今も残されているものを感じさせてくれる写真集だ。