こまえ桜まつりとダンス

狛江の桜も、もう満開の時期は終わりに近く、多摩川沿いは休日で花見客は多かったものの、桜はだいぶ散り始めていた。桜に関しては、去年よりも元気がないような気がする(もしかしたら、この数年がとりわけ元気がよかっただけなのかもしれない)。昨年は、植物の生育がよく、生命力で溢れ、桜もものすごい桜吹雪が夢の世界のように舞っていた。でも、今年はどこか弱々しく、よく言えば、優しいような印象だ。

この時期には、例年、狛江市が主催する「こまえ桜まつり」というお祭りが行われる。今年は四月一日。これまで行ったことはなかったが、ちょっとだけお祭りの会場を歩いてみた。多摩川近くの根川さくら通りで行われ、桜の木々の下に屋台が並び、催し物が開催される。規模としては決して大きくはないものの、お花見客の買い出しも含め、大勢の人で賑わっている。

僕が立ち寄ったときには、ちょうど小学生くらいの女の子たちが、長縄を使ったストリートダンスのパフォーマンスを披露していた。リズミカルな音楽に合わせ、縄をまわす子と跳ぶ子がくるくると変幻自在に入れ替わっている様子に、思わず見とれる。もともとダンスのような身体表現に憧れがあったこともあり、感動のあまり思わず涙が出そうだった。

桜の季節も、もう終わり。これから梅雨までのあいだは、しばらくのどかな春の陽気が続くのだろう。

両親の好きな季節の話

先日、電話で母と季節の話になった。母は、二月が好きだと言う。「もうすぐ春の始まりを感じさせる二月の空気感がいいんだよ」父も冬が好きらしく、両親が揃って冬が好きというのが意外な気がした。母も、父の好きな季節を初めて知って驚いていた。僕からすると、数十年連れ添って季節の話を一度もしたことがないことのほうが驚きだった。

呼吸

ときおり、その空間に立っていられないときがある。その空間にいると押しつぶされて消えるか、弱さが溢れ出そうになる。そうして必死に自分を位置付けようと深呼吸をする。この世界に立っていられるように深く息を吐く。でも、その吐く息に対する罪の意識が、吐息を歌にしようとする。下手くそな歌。だから、鳥のさえずりやミュージシャンの歌声に嫉妬する。

ああ、あんな風に美しい歌が歌えたら、ここに存在をゆるされながら呼吸ができるのに。

そばに寄り添っていたいと思いながら、そばにいることをゆるされない。寄り添っていてほしいと願いながら、遠ざかってゆく。