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狛江の歴史

狛江市の地盤と関東大震災の被害

狛江市の地盤と関東大震災の被害

狛江市の地盤

関東でも、いつ起こってもおかしくない大地震として東京直下型地震や東海沖地震などが心配されるが、地震の被害想定の目安の一つに、「地盤の固さ」がある。

そこで、狛江市の地盤は固いのか、それとも柔らかく揺れやすいのか、ということを調べてみた。

ある記事によれば、都内では狛江市の地盤は「弱い」ほうの部類に入っている。下記の数字が上がるほど地盤が弱く、1.5を越えると要注意、2.0以上だと強い揺れへの備えが必要だと言う。

◇1/多摩市/1.04

◇2/八王子市/1.14

◇3/稲城市/1.23

(中略)

◇34/品川区/1.60

◇35/豊島区/1.64

◇36/狛江市/1.74

◇37/文京区/1.99

◇38/足立区/2.06

◇39/千代田区/2.15

◇40/港区/2.27

◇41/中央区/2.28

◇42/江東区/2.30

◇43/荒川区/2.38

◇44/葛飾区/2.39

◇45/江戸川区/2.41

出典 : 日刊ゲンダイ「地盤から読み解く M7に耐えられる 揺れに強い街ランキング」

その他、自分の街の地盤について調べる方法としては、この「あなたの街の揺れやすさは?」が分かりやすい表示になっている。

狛江は、地盤的には、結構揺れやすい地域なんだな、というのが、ちょっと意外だった。

以前、狛江市の歴史資料を展示している展覧会に行ったとき、古くから狛江に住んでいるという案内のおじさんに訊いた際には、狛江の地盤について「固いほうだと思うよ」と言っていたし、僕自身も住んでいるかぎり、肌感覚として狛江は地盤が固いという印象を持っている。

最近も震度2から3の地震はしばしば起きているが、周辺の地域と比較しても、揺れづらいほうなのではないか、と正直思っていた。

関東大震災の狛江の被害

また、案内のおじさんは、このとき、「関東大震災でも狛江の被害は少なく、むしろ被害の大きかった地域に物資を輸送する役割を担った」と仰っていた。

狛江市のホームページには、関東大震災のときの狛江の様子や被害状況について、以下のように細かな描写が掲載されている。

覚東の高木雄一さんは中学の始業式を終えて下校の途中であった。朝からの雨は上がって青空ものぞいた。金子(京王線の駅、今のつつじケ丘)から歩いて家が見えるところまで来たとき、ぐらっときた。

傘を杖にして頑張ったがこらえきれない。草をつかんで寝転んでしまった。土が割れてもうもうと土煙が上がった。岩戸の秋元重光さんは妹さんと相之原(岩戸の八幡神社の東の小字)に桑摘みに行っていた。

籠いっぱいになったので帰ろうとしたとたんに、川向こうからゴーッとえらい音がしてきた。同時に黒い煙がもくもくと舞い上がる。畑がゆれだし、籠を背負って歩くどころではなかった。よろける足で家にたどり着く。母親は必死になって傾いた蚕棚(こだな)を押さえ付けていた。

蚕は上簇直前まで育っていた。多摩川では水面が盛り上がり、びっくりした魚が河原にとび上がって跳ねた。道路や水田ではあちこちで段差ができた。

地下水を押し上げて、青い砂交じりの水が吹き出したところもある。土蔵の壁が崩れ落ちたりはしたが、倒壊した家は全村で一軒もなかった。炊事どきにもかかわらず出火もなく、「人畜死傷ナシ」の状況であった。

出典 : 狛江「関東大震災」

死者10万人以上の甚大な被害を被った関東大震災で、全村で倒壊した家が一軒もなく、この地震の多数の死者の原因となった火事もなく、「人畜死傷ナシ」というのは、ほとんど奇跡と言ってもいいのではないだろうか。

ただ、描かれている地震当時の状況(「傘を杖にして頑張ったがこらえきれない。草をつかんで寝転んでしまった。土が割れてもうもうと土煙が上がった」)を見ても、決して「揺れなかった」ということはないと思う。

もちろん、震源地によって被害状況は全く違ってくるので、日頃の対策(「東京防災」)は怠ってはいけないものの、地盤というのは、一つの参考になると思う。

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