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『この世界の片隅に』すずと座敷わらしと、最後の子供
『この世界の片隅に』
片渕須直『この世界の片隅に』 予告編
周りから「よかった」と強く勧められるので、逆に身構えてしまった結果、延ばし延ばしにしてきた片渕須直監督の『この世界の片隅に』を、ようやく観た。
以下は、映画の感想や、個人的に好きな名シーンを、ネタバレありで紹介したいと思う。
これまで、コトリンゴの主題歌も聴き、『この世界の片隅に』の予告編も幾度となく見てきた。でも、なぜか本編はいつも、DVDのレンタルショップで作品を手にとっては置いて去ってきた。
急に観ようと思ったのには、特に何かきっかけがあったわけではなく、ただぼんやり店の棚を眺めているときに、何気なく手に取り、さっそく家に帰って一人で観た。
素晴らしい映画だった。
主人公のすずの声を演じたのんさんも、風景の絵も、色も、音も、ちょっとした笑いも、夢と現実が交錯する詩的な演出も、美しかった。
個人的に選ぶ名シーン
すずと座敷わらし
僕が個人的に名シーンだな、と思った好きなシーンは、座敷わらしとすずの描かれ方だ。
最初、子供の頃のすずが、夏におばあちゃんの家で座敷わらしの女の子と出会う。すずは、その存在に一切驚かず、スイカをあげ、「もっともらってきましょうか」と言うと、座敷わらしはこくりと頷く。
しかし、すずが戻ってくると、もうそこには座敷わらしの姿はなかった。
おばあちゃんが、すずの耳もとでそっと、「放っておきゃあとで食べにきんさってよ」と囁く。
座敷わらしと再会するのは、すずが大人になり、結婚先の町に移ってからのことだった。
すずが、闇市に買い物に行った際、考え事をしながら歩いていると、知らない通りに迷い込んでしまった。通りには、美しい女性が多く、よい匂いを漂わせ、竜宮城のように映った。
誰に尋ねても、道が分からなかった。
うな垂れたすずが、道の隅にしゃがんで地面にスイカの絵を描いていると、一人の女性と出会った。
その女性は、すずの言葉遣いを頼りに故郷を当て、私もそっちの方だ、と言った。
懐かしみながら、すずが、「おばあちゃんの家でスイカ食べたなあ」と言うと、女性は「うちは貧乏じゃったから、人の食べた皮ばかりかじっとったよ。でもいっぺん親切してもろうて、赤いとこ食べたねえ、遠い昔じゃね」と言った(エンドロールのあとのアニメーションで、座敷わらしの正体は明かされる)。
女性は、絵が上手なすずに食べ物を描いて欲しいとお願いするも、途中で呼ばれ建物に戻っていこうとする。
女性の背中に向かって、「今度描いてきますよ」とすずが呼びかけると、「ええよ」と振り返り、「こんなとこにはさいさい来るもんじゃない」と寂しげな眼差しを浮かべて女性は建物のなかに帰っていった。
この女性はリンという名前のようだ。アニメのなかでは名前は登場していなかったと思う(エンドロールでは白木リンとあった)。だから、僕には、この女性は「リン」という一人の女性というよりも、「座敷わらし」という、現実とも幻想とも分からない詩的な象徴の印象がある。
座敷わらしは、大人になって遊女になった。「こんなとこ」とは、遊郭のことだ。
原作だとはっきり描かれているようだが、映画でも、彼女の台詞や街並みの雰囲気から想像できる。
夢なのか現実なのか、子供の頃に出会った二人が、そういった形で再会するのが切なかった。
こういう運命の描写が、数多くあったように思う。
二つの道(それは夢と現実も入り混じりながら)があって、その道が交錯しながら出会って、別れる。
最後に出会う子供
もう一つ、名シーンとして挙げたい場面は、最後の子供と出会うシーンである。
子供は、母親と一緒にいるときに広島の原爆に遭う。子供だけが生き残り、母親は右腕を失って、しばらく子供を連れて歩くも、尽き果てる。
すずもまた、爆弾によって、一緒にいた姪の晴美を亡くし、自身の右腕を失くす。
最後の子供は、すずの場合とはある意味では逆で、子供だけが生き残る。
その生き残った子供が、すずと周作が座って話している場所に偶然現れ、家に連れて帰り、一緒に生きていくことをほのめかしながら映画は終わる。
失った者同士が交錯するそのシーンが、とても暖かい救いのように思えた。
エンドロールも終わったあと、本当の最後の最後に、「右手」だけが映り、手を振るのもよかった。
演出の細かさが際立つ、素敵な作品だった。
好きなシーンはたくさんあり、ストーリーや台詞もよかった。何気ない瞬間瞬間も美しかった。
自分の祖母の生きた時代だというのも感慨深かった。弟が、とにかく一回観てみたほうがいい、と強く勧めてきたのも納得の作品だった。
片渕須直監督とジブリの宮崎駿監督
ちなみに、作品の雰囲気やユーモアのセンスが、ジブリの高畑勲監督と似ているような印象を持ち、影響を受けているのだろうか、と思った。
どうやら、片渕監督は、過去に、高畑勲監督の演出助手を務めたこともあるようだ。
片渕須直監督の、高畑勲監督との出会いは『セロ弾きのゴーシュ』の時。自主制作という形で映画の上映を手伝ったといいます。その後、『リトル・ニモ』で高畑監督の演出助手をつとめたといいます。「高畑監督の基準はすごく高いところにあり、大変厳しい方。絵本作家や他のアニメーション作品を引き合いに出しながら、自身の考えをまとめていく。愛情のある厳しさですね。戦後、商業的にアニメーションを大きく広げていこう、という状況の中で、高畑監督はもっと普遍的なテーマを持ったアニメーションができるのでは?と探っていました」
また、宮崎駿監督のもとで演出の勉強をしていたこともあり、一度は、『魔女の宅急便』の監督を、宮崎監督ではなく、片渕監督が任される、という話もあったと言う。宮崎駿監督が脚本兼プロデューサーとなり、片渕須直さんが若手として監督に抜擢される、という話になっていたそうだ。
そのときの様子は、『第47回 宅急便の宅送便「次は自分たちで、ね」』にちょっとだけ詳しく書かれている。