新海誠『君の名は。』と岩井俊二

映画『君の名は。』でも知られる新海誠監督を特集した雑誌のなかで、新海監督が影響を受けた人物として、大江千里さんやRADWIMPS、村上春樹さんなどとともに、映画監督の岩井俊二さんの名前を挙げ、二人の対談も掲載されていた。

対談では、冒頭、新海さんが岩井監督の初のアニメーション作品『花とアリス殺人事件』が『君の名は。』のコンテを描いている最中に公開され、その影響がずいぶんとある、ということを語っていた。

それから、『君の名は。』に隠された、岩井作品に対するいくつかのオマージュも明かしている。

新海 : バスに乗って、瀧くんを真ん中にして奥寺先と司がこう……とか。あれは実写のほうの『花とアリス』のまんまのアングルをいただいて(笑)

岩井 : ああ、あの構図は何となく気づきましたけど ── オマージュなんですか?

新海 : そうです。(『EYESCREAM増刊 新海誠、その作品と人。』)

また、別の箇所に載っている、新海監督単独でのロングインタビューでも、ビルや電柱のような、「無機質なものに心情を託す」という手法について、岩井俊二監督から影響を受けたと語っていた。

そうした大きな無機物に心情を託す手法は僕が見出したものではないですよね。いろんな影響が絡み合ってるとは思います。

今回、岩井さんとの対談ができるということで『リリイ・シュシュ〜』を見返して、両毛線沿いの窓の風景とか、青空に工場の白い煙であったりとか鉄塔のシルエットとか、そうしたものにグッとくるものがあって、無機物に心情を託すみたいなところっていうのはこういうところから影響を受けてきたのかもしれないなと思いました。(『EYESCREAM増刊 新海誠、その作品と人。』より)

こういった背景もあるからなのか、『君の名は。』のエンディングロールでは、スペシャルサンクスに岩井監督の名前がある。

一般的に、自身のアイデンティティに閉じる傾向が見られるクリエイターという職種を考えると、新海監督は、自作のルーツや関係性を気さくと言ってもいいくらいに爽やかに公言しているように思えた。

もしかしたら、その感覚も、”世界との見えないつながり”を描いた作家らしい、と言えるのかもしれない。

狛江の花火大会

今日は花火大会。開催自体が5年ぶりで、僕がこの街に引っ越してから初めてになる。一ヶ月ほど前から町内のあちこちの看板や市役所にたくさんのポスターが貼ってあった。

体調のこともあったので序盤だけ見て帰ろうと思いながら、打ち上げ時刻に合わせて花火会場の多摩川に向かった。会場には、まだ多少座る場所も残っていたものの、すぐに帰れるように高架下の手前のガードレールの辺りで空を眺めていた。

隣には、老夫婦が並んで立ち、「もう始まりましたか」と待ち遠しそうに尋ねてきた。「これからみたいですよ」と僕は言った。

夕暮れどき、背後の遠い空には、今にも雷雨の降り出しそうな積乱雲が立ちこめている。黒々とした大きな雲の内部を這うように稲光が光ったり消えたりを繰り返し、雷鳴とともに、見物人や通行人が不安げに振り返っていた。

まもなく日が沈み、協賛企業の紹介と、市長の挨拶が始まった。どうやら天気の心配はなさそうだ。マイクの声は、川沿いの涼風と待ちわびる観衆の喧騒にかき消された。気づくと夜空が広がり、女性のアナウンスでカウントダウンが始まった。

そして、アナウンスの声と、まばらに重なった観衆の「ゼロ」という掛け声に合わせ、想像していたよりもずっと大きな花火が、小田急線の走る鉄橋の遥か上空に打ち上がった。色とりどりの花火と、橋を通り過ぎていく電車の灯りと、静かに夜空を見上げる沢山の人々の姿が折り重なり、美しく幻想的だった。

ぼうっと見惚れていたら、花火の煙が風に流され、ほんの少し咳き込んだ。それから僕は、花火が始まってだいたい20分くらい経ち、帰路に向かった。帰り道の途中、振り返ると、クラッカーのようなピンク色の花火がぽんぽんと夜空に飛び出すのが見えた。

夜、静かになった頃合いで、もう一度、花火の終わった多摩川の河川敷を散歩した。まだ広場に残って飲んでいたのか、酒の臭いをぷんと漂わせる若い女性や、木陰でキスする恋人たち、花火の後片付けをしている人たちがいた。

祭りの終わったあとの静まり返った町には、散った花火の欠片のような紙くずが、寂しげに転がっていた。