星の見える東京
日記

多摩川の土手から見た、世田谷区たまがわ花火大会

世田谷区たまがわ花火大会の夜

二子玉川で開かれた、世田谷区のたまがわ花火大会を観てきた。

日中はずっと雨が降っていたものの、ひとまず多摩川の土手沿いを二子玉川の方向に向かって歩こうと家を出た。

打ち上げ時刻の10分前になっても相変わらずの雨模様で、多摩川に集まっていた見物客の多くが、高架下で雨宿りをしたり、ビニール傘を差しながら、下流方面に向かってゆっくりと歩いていた。

僕も、ひとまず水浸しの土手を靴が濡れないように、水たまりを避けながら歩いた。

それから、次第に雨は弱まり、小雨がぱらつく程度になった。そして、ほとんど降っていないかな、という頃合いで、花火の開始時刻の19時を迎えた。

その瞬間、遠くの夜空に立ち上っていく心許ない一筋の光。

花火の光が反射し、水たまりがほんのりと色づく。水滴のついたビニール傘の向こうに、次々と花火が打ち上がっていく。

水たまりとビニール傘と花火の彩り、とても不思議な景色だった。

僕は傘を閉じ、花火の方角に向かって再び多摩川の土手沿いを歩き続けた。

民家の前では、車椅子のお爺さんが座りながらじっと打ち上がる花火を眺め、後ろでは車椅子のハンドルに手をかけたお婆さんも一緒に眺めていた。

普段は人通りの少ない寂しげな土手沿いの道も、この夜ばかりは花火に高揚する大勢の見物客で溢れ、僕は、「ようこそ! ようこそ!」という嬉しい心地でいっぱいになった。

電波塔を越えた視界の開けた辺りで、僕は立ち止まって遠くに上がる花火を見ていた。

下流の方角には、闇にぽうっと浮かぶ二子玉川の高層ビルの窓の灯りが見え、ビルのすぐ横を花火が次々に華々しく咲いては儚く散っていった。

ささやかな歓声とささやかな拍手が、夜風にまぎれて聴こえてきた。「たまや〜、たまや〜」という男の子に、「たまやばっかりじゃないか」とお父さんが笑っている。

花火は、それぞれの人生や心境によって、湧き上がってくる感情も変わる。

打ち上がって消える、その刹那ごとに、老夫婦も、少年も、溢れる想いの色や声音はきっと違うのだろう。

数え切れない、ただの一つとして同じではない想いが、花火とともに溢れ出す。

そんな風に思うと、僕は思わず泣き出したくなる。嬉しさと苦しさと悲しさとやるせなさとが入り混じって、遠吠えのように叫びだしたくなる。

帰り道、雨上がりの夜道を歩きながら、ふとモンパチのあの歌を口ずさんでいた ─── 泣かないで、愛しいひとよ。

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