お盆の終わり頃、狛江近くの多摩川の河川敷で毎年灯籠流しが行われる。この灯籠流しを、先日見に行ってきた。僕自身、灯籠流しを見るのは初めてだったと思う。
日中は雲行きが怪しかったものの、日が暮れる頃には三日月が姿を現し、雲もそれほど目立たなくなっていた。夜になり、家を出た。多摩川に着くと、橋の下を柔らかな灯りが流れていた。土手を降りていくと、お坊さんのお経が辺りに響き渡っていた。浮世離れしたようなお坊さんのお経と、小田急線の走り去っていく車窓の灯りと、暗闇を揺れるように流れる灯籠が、まるで現世と異界の混じり合うような不思議な雰囲気を感じさせた。花火にしても、夕陽にしても、この橋を越えていく小田急線が風景のちょうどいい隠し味になっているなと思った。
僕は、ボート屋の裏手の川面に続く石段に座った。隣には、母親と幼い男の子が座っていた。男の子は、美味しそうに苺のかき氷を頬張っていた。母親は、ゆっくりと流れてくる灯籠を眺めながら、「あんなにたくさんの想いがあるんだね」と呟き、こぼれた言葉に、かき氷を口に運ぶ男の子の手が止まった。薄闇の向こうにうっすらと見える、か細い少年の眼差しは、ゆらゆらと揺れる灯籠に向けられていた。男の子は、その灯りを不思議そうにじっと眺めていた。
ふと気づくと、背景を彩る音色は、お経から、懐かしい民謡のような演奏に変わっていた。震災の影響からか、近しい人たちの死があったからか、それとも年齢を重ねたせいなのか、「供養」という「死」に向けられた想いが、以前よりも深く心に沁みるようになった気がする。
夜空を見上げると、三日月を薄白い雲が横切っていった。