氷川神社に初詣

狛江の初詣、氷川神社

狛江の家から初詣に歩いて行ける神社を探し、見つかったのが、喜多見の氷川神社。氷川神社は、創建が七四〇年と伝えられているが、室町時代の洪水で古文書が流失し、詳しいことは分かっていない。もともとは多摩川沿いにあったと言う。

氷川神社の付近は、閑静な住宅街だが、二階建ての家々が数多く立ち並び、遠くから見える目印になりそうな建物もないので、まるで迷路や人工の樹海のように入り組んでいる。よほど土地勘がないかぎり、地図を失ったら厳しいことになる。僕も、迷子になって行きも帰りもしばらく途方に暮れていた。

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入口がちょっと分かりづらいかもしれないが、二ヶ所あり、鳥居のある正面は狛江や和泉多摩川駅から歩いて行った場合、ちょっと奥側になる。

僕が行ったのは二日の正午過ぎだったので、ほとんど混雑することはなく、待ち時間も五分だったが、ピークの時間は昼の一、二時くらいらしく、確かに僕の帰り際には徐々に人も増えてきていた。天気にもよるものの、元日になると参道のほうまでずっと並ぶことになり、三時くらいから混雑も緩和していくようだ。

氷川神社境内は思っていたよりも広く、パワースポットと言われるのも分かるくらい木々も生い茂り、神聖な空間だった。初詣は毎年欠かさず行っているわけでもなく、作法などもすっかり忘れてしまったので、前の人の様子をよく観察しながら参拝した。

泉龍寺の紅葉

今年は紅葉がだいぶ遅いように感じる。もう十二月半ばとすっかり冬の寒さなのに、秋真っ盛りのようにとても鮮やかに色づいていた。狛江では、駅から歩いてすぐの泉龍寺と弁財天池が、周辺の静かな雰囲気と合っていて綺麗だと思う。

狛江の紅葉、泉龍寺

狛江の紅葉泉龍寺

狛江の紅葉狛江の紅葉

狛江の紅葉弁財天池狛江の紅葉狛江、泉龍寺

泉龍寺は、伝説によれば創建が七六五年という歴史の古さで、狛江市内でもっとも大きな寺院であり、駅のすぐ近くにあることから、街を代表するお寺でもある。弁財天池は、かつて雨乞いによって湧き出たものと言い伝えられている。都市の発展などによって一九七〇年代に湧水が途絶え、後に復元工事が行われることとなった。

もう一ヶ所、小田急線で狛江の二つ隣にある成城学園前駅の銀杏並木も歩いてきた。歩いていると、風が吹いて、はらはらと銀杏の葉が降ってきた。

成城学園前の銀杏並木

成城学園前の銀杏

成城学園前の閑静な住宅街は、春は桜が美しく、晩秋には銀杏並木も幻想的で、冬の寒い日が続くが、色づいた葉が、一瞬ほっこり暖めてくれるみたいだった。

恐竜絶滅後の世界と再生(多摩川編)

台風後の多摩川の河原は、老木から植物まで綺麗に流され、もともとこの辺りにあった木々が倒れたのか、それとも上流から流れ着いたのかは分からないものの、まるで恐竜絶滅後の世界の様相だった。

以前の光景を知っている人からすると、一体ここはどこなんだ、というくらいの変貌ぶりで、散歩中の地元のおじいさんも、台風の翌日だったか、土手にしばらく立って以前の姿を想い起すように河原のほうを眺めていた。

実際に河原に降りてみると、恐竜や巨大生物が逃げようとして飲み込まれ、そのまま朽ちたような光景が広がっていた。砂利の広がる灰色の世界に、ぽつりぽつりと倒れた木々は、朽ち果てて横たわる巨大木製人間や、SF映画に出てくる大きな宇宙人、ジブリ作品に出てきそうな老木の精霊の死骸のようだった。


風格がある。僕の身長よりはるか高く、たぶん三メートルくらいはあるかもしれない。もともとこの辺りには古の雰囲気を感じさせる主のような老木が立っていたので、もしかしたらその木かもしれない。多摩川のちょうど狛江と調布の境に位置し、前からとても好きな景色だったものの、あまりに日常だったために残念ながら僕のカメラやiPhoneにはほとんど台風以前の写真が残っていなかった。

だから、比較はできないが、もともと冬場は石ころだらけの殺風景な景色だったものの、それでももう少し植物はあったように思うし、少なくともあの古代世界に生きる巨大生物のような老木たちはちゃんとそこに立っていた。


この写真は春先の風景。たくさんの菜の花が咲く、のどかな光景が広がっている。右手奥に見える木々が、台風の影響で流されてしまったようだ。月面のように殺風景な景色になっていた。

寂しいなぁ、と思いながら、川の上流のほうに向かって砂利の河原をとぼとぼと歩いていたら、一ヶ所だけ、砂漠のオアシスのような緑色の場所が見えてきた。

近くに座って休んでいたら、川のせせらぎと鳥の鳴き声がとても心地よく心を潤してくれた。